同級生はたった4人。ド田舎出身の僕が全校生徒1600名超の高校で生徒会長を務めたわけ ①

備忘録

僕の家は梅と柿を栽培する果樹園を営む専業農家だった。物心つく頃には辺り一面「木」で埋め尽くされた畑によく連れ出されていた。

朝、太陽が顔を出すと共に軽トラックのエンジンを吹かせて家を出てゆき、暗くなった頃に汗だくで帰ってくる父と祖父母。みんな頑張ってくれてるんやなあ、ありがとう、といった思いは、小学校の人権作文で題材にするくらい自然なものだった。

ただ、将来自分がそういう生き方をしたいかと問われれば、そうではなかった。ある程度勉強をしていたこともあり、小学校のクラスでは常にテストは満点をとるような児童だった。当時の夢は弁護士か医師だったと思う。少なくとも卒業文集にはそう書いていた。

中学受験をさせてもらい、僕は晴れて憧れていた私立の中高一貫校に入学した。

小学校での塾にも自分よりも賢い友達は山ほどいた。だから別に「優秀な学友」にショックなど受けなかった。ただ、全校生徒が100名くらいの小学校の中で生きてきた僕にとって、同級生だけで200名を超える環境はとても目新しく映った。クラスの中でも農家の子なんて僕だけだった。

部活動は柔道部を選んだ。大きな道場と優しそうな先輩に惹かれた。同期はたった1人だったが、それでも週3回の稽古はとても楽しかった。

中学二年生になり、だいたいの同級生とは話せるかな、くらいの関係を築いていた僕にとって、この後の学生生活を根底から揺るがす出来事が起こる。

生徒会選挙である。それまではなかったのに、なぜか僕達の年から「中学生徒会」という制度が始まったのだ。

後出しの情報で恐縮だが、密かに僕は「〇〇長」というものに憧れていた。冗談のように「いやー高校で生徒会長とかめっちゃカッコええやん」と母と言い合っていた僕にとって、渡りに船としか言いようのない話だった。でもやっぱりそんな出過ぎた真似をするのは恥ずかしい。そんな弱気な自分がいるのも事実だった。ウジウジと悩んでいると、クラスメイトが「くりりん(僕のあだ名である)生徒会とかでーへんの?」と言ってくれた。その伝播は想像以上に大きいもので、あっという間に学年中の友達から「でろよ!」「なんかやってくれ!」などと煽られるようになった。

その後押しもあり、僕は出馬を決めた。

生徒会選挙は、全校生徒の前で全候補者が演説を行い、その後投票をするといったマンガ「帝一の國」さながらの行事であった。

演説は高校生から始まる。中学二年生の僕の出番は終盤だった。最初は熱意溢れる候補者の演説に頷いていた生徒(当時は先輩ばかりだ)のみんなも、やはり変わり映えのしない演説の数々に辟易しているようだった。僕にとっては初めての演説だ。原稿は前日から入念に作成し、練習も何回か行った。それを読むつもりだったのだ。でも、生徒のつまらなさそうな顔といったら、なかった。僕の前の候補者が話し出す。みんなが「またか」という顔をしていた。名も知らない先輩はこんなに頑張って話しているのだ。

「もう、なんでもええか」

僕はそっと演説の原稿を十字に破った。誰にも知られることなく。この会場の誰も、中学生1人の一大決心なんて知る由もなかった。

それではどうぞ、と司会がマイクを僕に譲った。まずはお辞儀だ。「はじめまして。中学二年生〇組の…」実に優等生な生徒だったと思う。この瞬間までは。

「この学校は腐っている」目を閉じて聞いていた先生の顔が強ばっていた。

そこから先は、本当に思っていたことを話した。過激な言葉も使った。予定よりも言葉はすらすらと出てきた。上級生が「いいぞー!」と掛け声をくれた。同級生も煽りをくれた。自分の味方に付いた気がした。

最後に、右手の人差し指を空へ突き立ててこう言った。「この学校に、革新を」

その日1番大きな拍手は、たぶん僕が貰ったんじゃないだろうか。いや、わからない。ただ記憶を美化しているだけかもしれない。

そうして僕は候補者7名中で最大票を獲得し、中学生徒会会長となった。

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